高校公民(現代社会・政治経済)の
中間テスト・期末テスト・センター試験対策の勉強法
法の支配・自由権と社会権
絶対王政の時代、エドワード・コークがブラクトンの『王といえども神と法の下にある』という言葉を引用したことが、後のイギリスにおける「法の支配」の確立に強い影響を与えました。
【法の支配と法治主義の違い】
「法の支配」→イギリスで発達した考え(冒頭に挙げたようにエドワード・コークの主張が代表的)。法律に従って政治は行われるべきであり、その法律は国民の権利を守る内容のものでなければならない。
「法治主義」→ドイツで発達した考え。法律に従って政治が行われるということが重視された。法律の中身がよいものであるかについてはあまり問われない。
【自由権と社会権】
自由権=「国家からの自由」、社会権=「国家による自由」
※自由権=「国家からの自由」=国家が人権を制約するのであればその制約から自由になろうとする考え
※社会権=「国家による自由」=国家によって人権が保障される(教育、福祉など)とする考え
※「小さな政府」がよいか「大きな政府」がよいかという議論において、「国家からの自由」と「国家による自由」のバランスをどのように取るのかということを念頭において考えることが多い。今の日本の政党のマニフェストや綱領などをいくつか比較してみながら考えてみると理解しやすい話です。
※「国家からの自由」を重視するのが「小さな政府」。ラッサール(ドイツ)によれば「夜警国家」とも言われる。これを徹底させると、社会保障などが貧弱になって経済格差が拡大する弱点がある。一方、「国家による自由」を重視するのが「大きな政府」。これは「福祉国家」とも呼ばれる。これを徹底させた場合、社会主義国家の考えに近くなる。
【市民革命・産業革命以後、社会権獲得までの歴史】
→市民革命と並行して産業革命と資本主義の発達が起こりました。しかし市民革命によって獲得された権利は基本的に「国家からの自由」である自由権であり、社会権の考えはまだ発達していませんでした。そのため、「国家からの自由」の考えのみでは解決できない社会問題が生じることになりました。たとえば、貧富格差や年少者の労働など、労働者の人権の保障などが挙げられます。そのため、これ以降、「国家による自由」である社会権を認めるべきだという動きが世界で見られるようになりました。
(1848)マルクス、エンゲルス「共産党宣言」
・「マニフェスト」という言葉は、ヨーロッパではこの宣言の事を指す場合もある。
・「ブルジョワとプロレタリア」の考えなど、労働者の人権をクローズアップした。
(1871)パリ・コミューン・・・教会と国家の政教分離、無償の義務教育の考え方が提唱される
(1917)ソ連(現在のロシア)でレーニンらによるロシア革命。
→ロマノフ朝のツァーリズムの崩壊。その後1991年まで、労働者と農民の代表からなる「ソビエト」が国会の役目を果たすようになる。 1924年に憲法制定。その後、1936年にスターリン憲法、1977年にブレジネフ憲法という形で改定される。
(1919)ドイツのワイマール憲法・・・社会権の規定が最初に取り入れられた。
→しかし、1933年の「全権委任法」制定で、憲法の効果がなくなってしまう。
→各国の社会権、生存権の獲得の動きと憲法の制定。そして第二次世界大戦後、戦争への反省もあり、国内だけでなく世界という大きな枠組みで人権を保障する流れへ。
sponsored link
目次
|
|
|
※当サイトの情報を参考にしたことにより何らかの損害等が発生した場合でも、当サイトでは責任は負うことができませんので、最終的な判断は閲覧者の皆様ご自身の責任でお願いします。
(c)高校公民(現代社会・政治経済)の中間テスト・期末テスト・センター試験対策の勉強法