高校公民(現代社会・政治経済)の
中間テスト・期末テスト・センター試験対策の勉強法
資本主義と社会主義と経済思想
ここでは、資本主義と社会主義について、その時代ごとの経済思想と合わせながら学ぶと理解しやすい単元です。
【資本主義】
・資本主義が確立したのはイギリスで産業革命が起きたためです。政治分野で学んだように、絶対王政の時代から、市民が中心となる社会に変わる「市民革命」も起きたことで、市民が得た富を「王様」が独占することもなく、資本主義特有の私有財産制度がより発達させていったともいえるでしょう。
・絶対王政から本格的な資本主義に移行した当初ののヨーロッパでは、「重商主義」の時代でした。世界で最初に株式会社を作った東インド会社のトマス=マンもこの考え方を取っています。貨幣を唯一の富とみなし、貨幣の蓄積のために保護貿易・産業の保護育成政策がとられるいった制度で、そのためには、輸出を奨励し、輸入を抑制することで、他の国のものは買わないのに自国のものはどんどん輸出させていこうというのが重商主義政策です。輸出入の制限や産業保護など、保護貿易の強い傾向が重商主義にはみられます。
・その後、重商主義政策が国家による経済介入が大きすぎるとして、18世紀後半のフランスに「重農主義」という考え方がうまれました。重商主義の保護政策は、輸出用に作られた農業以外の製品の輸出は奨励するが、一方、農業にたいしては輸出禁止だけではなく自国内での作物の移動の禁止などいろいろな規制がかけられ、農家は疲弊していった。そのため、重商主義政策に反対して「重農主義」が唱えられ、経済活動の自由放任主義を唱えられた。重農主義の代表者のケネーはその著書「経済表」によって「剰余価値」や「経済循環」の考えを著した。
・そして、経済活動の自由放任主義の流れが大きくなると、それが今度は「古典学派」という考え方に繋がっていく。18世紀後半から19世紀にかけてイギリスを中心にみられた。古典学派の創始者アダム=スミスが『国富論(諸国民の富)』において、個々人の行動が、結局は神の「見えざる手」に導かれて社会全体の福祉につながるとした。
【社会主義】
しかし、以上の経緯で経済活動の自由放任主義の流れが大きくなると、経済活動が活発になって、工業化が進むと、都市に住む労働者階級の生活が悪化していった。少年が教育を受ける機会も得られないままにリスクの高い危険な、しかも長時間の低賃金労働に従事するなどの貧困層がいる一方、「独占資本主義」とよばれるように、特定の富裕層だけが豊かになって国を支配するような感じになり、一般の人の経済的権利はないがしろにされる状況が強まってきた。
→そこで、資本主義の欠点である、自由放任主義のいきすぎが「独占資本主義」を招く状況を社会主義の考え方から批判されるようになった。マルクスは、当時の独占資本主義の考えをみて「労働者たちから、できるだけ多くの剰余価値を搾取することが資本主義の仕組みだ」と主張。資本主義社会がやがては社会主義社会へ移行せざるをえない必然性をもつことを主張した。
※次のページでは世界恐慌の後について続きを説明します。
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