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日本の貿易自由化
前のページでIMF・GATT体制について説明しましたが、日本もGATTの枠組みの中で、1964年には「IMF8条国・GATT11条国」へ移行し、他の先進国と同じように貿易・為替の自由化の義務を負うことになり、そして徐々に貿易を自由化させていきました。
GATTのウルグアイ・ラウンド(1986〜94年)では、交渉の中で、日本の農産物の輸入が自由化されることになり、1991年には牛肉とオレンジの2品目の輸入が自由化されたことも特筆すべきことです。
一方、時代は前後しますが、1980年にはレーガン大統領のドル高政策(レーガノミクス)が採用され、「強いアメリカ」を掲げたレーガン大統領がドル高政策を打ち出したところ、円安ドル高のために日本はアメリカに向けて輸出しやすくなりました。そして日本の輸出は伸びるものの、アメリカの輸出が不調になり、日米貿易摩擦が激しくなりました。
1985年には、アメリカの貿易赤字による不景気を回復させるため、「プラザ合意」が採択され、日米独英仏が協力して、円高ドル安に向けて介入することが確認されました。そのため、アメリカの輸出が伸びる一方、日本の輸出が不振となり、円高不況を招きました。日本企業の生産工場の海外移転(産業の空洞化)が進みはじめたのもこの時期です。その後日本は貿易よりも国内の需要を高める政策をとりますが、それが平成初期のバブル景気とそのあとのバブル崩壊を招く要因になりました。産業の空洞化は今でも大きな問題となっています。
【WTO(世界貿易機関)の創設】
・1995年、GATTに代わってWTO(世界貿易機関)が創設されました。基本的にはGATTの中身を継承しているのがWTOです。ただし、GATTは「関税と貿易に関する一般協定」というように、協定にしかすぎないので、仮にGATTのルールを破っても制裁がないためにルールの実効性が疑問視される部分がありましたが、WTOは協定ではなく「機関」、いわば国際組織ですので、WTOのルールの違反した国に制裁を加えることができる権限が与えられています。
なお、東京ラウンドで問題になった、セーフガード条項(自国の産業に重大な影響を及ぼしたときに輸入制限を行うとする条項)については、WTOではその発動要件を明確化することが定められました。
【FTAの動き】
・世界の経済の変化に伴い、90年代、世界の各地域で地域統合の動きが活発化。特にヨーロッパ地域のECがEUになって統一通貨を設けたことのインパクトはとても大きなものがありました。一方、WTOのような100か国以上の枠組みでは、変化が激しい国際経済の動きに各国が対応しにくいのではないかと考える動きもあり、世界的な動きとは別に、個別の国同士で、より簡単に合意しやすく締結もしやすい、FTA(自由貿易協定)を結ぶ動きが活発になりました。要するに、加盟国間で貿易障壁を撤廃する点ではWTOの理念と同じですが、2か国間とか3か国間などの少数の国で個別に結ぶ協定なので、個別の国の事情に応じて、多国間では難しい中身でも合意しやすく、また世界の経済の変化に臨機応変に対応しやすいというメリットもあります。日本と個別にFTAを結んでいる国々もいくつか見受けられますので、時事問題対策を兼ねてニュース等でチェックしておくことが大切です。
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